眼前の繰廻しに百年の計を忘する勿れ

 これはNHKの「さかのぼり日本史」島原の乱の終わりに講師が紹介した渡辺崋山の言葉である。
 渡辺崋山が交渉時に注意すべき点を記した八勿の訓の中の一つのようであるが、正に戦後日本は、この教えに背いて、100年の計を立てることなくただ眼前の繁栄のためだけに突き進んできたように思う。

 前後、焼け野原からの復興を目指して、一生懸命に道路を造り、ダムを造り、町を再生させ、工場を再生させ、生産を行ってきた。ひたすら構造物を作り、製品を作ることに励んできた。昭和39年の東京オリンピックに向けては、戦後復興をアピールする目的で新幹線や高速道路も造った。この頃までは東京都心付近にもまだ田んぼが残っていたのだろう。

 一方、この頃から公害が激しくなり、北九州の洞海湾は死の海と言われ、熊本の水俣病や神通川流域のイタイイタイ病も顕在化してきた。この頃の日本は現在の中国のような状態だったかもしれない。働いて、良い家電製品を買って、団地のアパートに住んで、日々生活が向上して、活気があった。環境のことなど全く顧慮しなかった点も現在の中国と同じかもしれない。

 この日本の右肩上がりの経済状況を分析して1979年には“ジャパン・アズ・ナンバーワン”というような本も書かれた。しかし、1980年代後半からバブル経済に入り、そして弾けた。本当ならここで日本は将来のことを、百年の計を立てるべきだったのではないかと思う。

 戦後初めて1年限りで赤字国債が発行されたのは1965年。その後、1975年から1989年まで赤字国債が発行された。バブルの影響で増収したため4年間は発行されなかったが、1994年から再び発行し、現在に至っている。1983年の国債残高が約100兆円。1991年でも172兆円。これが1996年の橋本内閣、小渕、小泉と加速度的に赤字国債を乱発して、最後に東北大震災の復興のための借金で政府保証債務等を入れて1000兆円突破の現状となった。

 何度も書いたが、宮沢さんはとっくの昔に日本は破綻していると言った。日本は破綻なんかしないという意見もあるし、あと数年で破綻するという意見もある。破綻したらIMFが乗り出してくるかと思っていたら、現在のギリシャやイタリアの騒動を見ればわかるようにIMFに1000兆円の破綻を救えるような資金力はない。そうなると日本を救済というか支配に乗り出してくるのは、中国だったりする可能性は?

 2月2日朝日新聞1面に「国債の数年後急落 想定 三菱UFJ銀、対応策」の記事。日本国債の価格急落に備えて「危機管理計画」を作ったとのこと。数年後に価格が急落(金利が急騰)して金利が数%に跳ね上がったら損を少なくするために短期間に数兆円の国債を売るという。国債急落につながる変化を為替など30指標をチェックする。その重要な指標の一つが経常収支で2016年には経常赤字になる可能性があるとしている。この2016年に近づくと国債の信用が落ちて、返済期間10年の長期国債の金利は、今の約1%から3.5%に上がる恐れもあるので、約束通り返済される可能性の高い期間一年以内の短期国債に買い替えるという。要するにあと4年以内に日本は破綻して、長期国債は紙くずになるかもしれないと言っているのと同じではないか。

 同じく2月2日朝日新聞13面には「国債暴落に備えよ」との表題で一橋大経済研究所教授 小林慶一郎氏へのインタビュー記事。小林教授は言う。「政治家も官僚も有権者も将来より、目先の選挙や利益を重視しがちです。これは民主主義の限界かもしれません。ですから、政治的思惑に影響されずに、専門家が中立な立場で将来の財政を考える機関が必要です。英国などには、中立な立場を保証された組織が政府や議会にあります。・・・・・」 そう、政治家も官僚も有権者も経済界も誰もが眼前の繰回しに熱中し、百年の計を立てなかった。

 現在の状況を家計に例えると年収400万円の人間が1億円の借金を抱えて、利子だけで年100万円を払い、さらに500万円の借金を重ねている状態に相当する。常識で考えて、異常だとわかるこの状態を未だに異常だと思わない政治家や国民が多くいるこの異常さ。

 破綻を回避するには早急に消費税を25〜30%に上げる必要があるという。
 しかし、そんな消費税率のアップは国民が納得しないだろうし、仮に上げたとしても国民の消費は落ち込むし、税金のばらまきが無くなるから万年、公共事業に頼っている業界は衰退して失業者で溢れかえるだろう。では借金をさらに増やしてじゃぶじゃぶばらまいて景気を良くして、税収を増やして、返済する案はどうか。あのバブル期でも税収はせいぜい60兆円。ばらまいた以上に税収が増えればよいが、そんなことは絶対に無いのである。

 よく考えるとまじかに迫った破綻を前に未だに惰性で新幹線、高速道路、ダムを借金で作り続けているのである。
 美智子様が出産した昭和30年代までは人は家で生まれ、家で死んでいたものが、現在では病院で生まれ、病院で医者のプライドのために金を湯水のように使って苦しみながら死なされるようになった。ほんのちょっと前まで老衰じゃないかと思うような患者でも管をいっぱいつながれ、一分でも長く生かさせるのが医者の勤めと言って、みじめな死に方をさせられていた。数日前の新聞にやっと老人に気管切開や胃瘻などの過剰施術は施さない方がいいのじゃないか、というような記事が載るような始末。

 この金のことを考えなくても良いというような日本人の思考はどこから始まったのであろうか。

 プロジェクトXの長大橋の技術者は、橋を造り続けなければ技術が維持できないと言った。彼らは技術の維持のために借金をしてでも橋を造り続けろと言う。吊橋を造る技術が国を滅ぼすより大事だと言っているのである。

 そういえば国労、動労なども100円の収入を上げるのに2000円も3000円も経費が掛かる路線を廃止するのに国民の足を奪うな、と言っていた。彼らはお金がどこから生まれると思っていたのだろうか。戦後の社会党などの反対ばかり唱える野党の責任も重いと思うが、現在では自民党までが単なる反対野党になってしまった。今ではみんな自分達の眼前のことしか見ず、国家百年のことを考えてないのである。

 しかし、世の中は良くできたもので、自力で更生できなければ、破綻して自然の成り行きに任せて国民自身が死ぬ目に合うだけである。本当に死ぬ目にあえば、日本人も本気で考えるようになるだろう。その時は中国の経済支配下に入って、今度はアメリカではなく、中国の属国のようになっていたりする可能性も。あるか、ないか。あと数年で。

(2012年2月5日 記)

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